« 2010年5月 | トップページ | 2010年7月 »

2010/06/13

本ばかり読んでいる

本は妙に高揚して読む時もあるが、雑誌は心が穏やかでないと読む気がしない

と以前書いたことがあるが、このところ本ばかり読んでいるのは、やや心が穏やかでないからかもしれない。そう言いつつ、雑誌の話から入るが、先月号のTOPPOINTはなかなか刺激的だった。

「ネオ・デジタルネイテイブの誕生」の欄に、「最近の高校生は、勉強のできる生徒より、皆に好かれる生徒になりたいと思っている」とのアンケート結果が書かれていた。「皆に好かれる」というのは目的ではなく、結果ではないか。自分にとって快いかどうかという主観的基準が、はびこっているからだと指摘されている。

セネカの「生の短さについて」も載っていた。以前読んだ本である。

「最も快い生ではなく、最も善き生を追い求めよ。快楽を善き意志の先達とするのでなく同伴者とせよ」「徳は快楽を与えるのではなく。快楽をも与えるのである」

快い人生というものは、目的ではなく結果なのだ。単なる同伴者なのだと。

そして、伊与田覚著「人物を創る人間学」。人間学は「小学」「大学」「中学」から成るという。

大学はもちろん「大学」、中学は「中庸」。これは僕の手本であって、我が子たちの名前をこの辺りを出典としたぐらいだ。「小学」というのは朱子が編纂を命じた教本なのだが、残念ながら岩波文庫にも講談社学術文庫にも無く、僕が持っているのは諸橋轍次著の「中国古典名言事典」に一部載っている程度なのだ。

小学は「修己修身の学」、小学生が身に着けていなければならない人としての常識なのだ。それでありながら、教養として今の日本に一番不足しているもののようだ。

というわけで、僕の頭の旅は、「人物を創る人間学」を買って読みだすことで、さらに遠出になっていく。

清掃。本来人間は清潔を好む。清潔に対して不感症になると、歳をとってから、贈収賄など汚いことを平気でやるような人間になってしまう。だから古来より子供の時から清潔を好む心を育ててきた。小学校の掃除の時間、あれも授業だったとは。

そして、、「人物を創る人間学」を読了して、頭の旅がとうとう辿り着いてしまったのが、佐藤一斎の「言志四録」。4月に長男の入学式の祝辞で聞いてから、気になっていたが、ついに買ってしまった。

この一か月、のぞみ号の中では小説をたっぷり、夜な夜なは、この分厚い本を読んでいる。

R0011693

PS.血圧計買いましたよ。

R0011725

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2010/06/03

歩き始めたら

毎年、なぜかこの季節になると、首に痛みがでてきて、借金はないのに首が回らなくなる。今年は特に痛みが頑固で、もう二週間ほど、職場を抜け出して近くの整形に通っているが、一向に良くならない。イテテテ。

その整形の待合室に血圧測定器があって、待ち時間の暇つぶしに計ってみたら、これが妙に高い。上は160台、下は110ぐらい。何日も通うたびに計ったのだか、いつも同じように高い。

きっと壊れているのだろうと思って、他の患者が計るのを覗き込むと、具合の悪そうなおばあさん達でも、まともな数字がでている。これはいけないと、今度は会社の診療所に駆け込んでみた。

結論。高血圧だけれど、しばらく様子見ということで薬は出ずに、食事の改善と減量を言い渡された。

そんなわけで、このところ出来るだけ歩くようにしている。首の痛みが道連れなのだが。会社の帰り道も、いつも線路に突き当たると、右に曲がって最寄駅に行っていたのだが、左に曲がって、隣の駅まで歩くようにした。

昨日も、外出先から50分かけて歩いて帰ってみた。木場あたりから、大横川、仙台掘川、小名木川を渡って、鬼平気分で家路につく。門仲の魚三も、高橋の魚三も、森下の山利喜も、前を通る時はつい覗き込んでしまうがぐっとガマン。

歩いていると、その間、よく考えるようになった。人生について、生き方についてのプチ哲学。頭の中が目まぐるしく動いていく。歩き始めたら、頭の旅に出るようになった。

この思いをブログに書きたいと思うのだけれど、あちこち動いて、なかなか考えがまとまらず、家に帰れば、直ぐに現実に戻って、ベイスターズを観て、世界卓球を観て、ツタヤディスカスで送られてくるDVDを観て、気がつくと眠くなってしまう。

そういうことで、書きたいことあるのだが、頭の旅日記が整理しきれずにいる。更新が止まっている言い訳。

| | コメント (6) | トラックバック (0)

« 2010年5月 | トップページ | 2010年7月 »